人との「繋がり」

ダークヒーローは光を浴びない【世界チャンピオン岩佐亮佑】孤高の挑戦!

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岩佐先輩との出会い


出会ったのは5年前。(※2016年)

イギリスの世界王者、リー・ハスキンスへの挑戦前だった。

私は縁あってスパーリングパートナーとして呼ばれたのだ。

手足がすらっと長く、いかにもボクサー体型。


”神の左”で有名な山中慎介チャンピオンとの日本タイトルマッチは歴史に残る一戦。


高校生の頃、映像を見ては興奮したのを覚えていた。

当時、ボクシングを始めて6年程。

遂に辿り着いた世界レベル、それぐらいに考えていた。

しかし、4Rのスパーリングでは全く底を見せてはくれなかった。

レベルが違った…。

持って生まれたもの、積み重ねた”ボクシング”。

両方とも。


その後大学を卒業後、セレスジムに入門した。

そしてその年岩佐先輩は日本で世界チャンピオンになった。

ハスキンスに敗れた後も”鷹の目”は世界を見据えていた。

目標の人


私がセレスジムに入門する際に、1番はじめに立てた目標は「岩佐亮佑を超える」。

この人を超えられたら自信をもっていい、そう思った。

当然、浅はかな考えであったことにはすぐに気が付いたが。

そして、色んな技術ややってきたことを真似してみようと思った。

近くに目標が存在しているという現実。

ジムの会長であるセレス小林も元世界王者だ。

その全てに感謝だ。

時には”現実”を突きつけられるが。

岩佐先輩が教えてくれた。

「皆んな「岩佐だから出来る」って言うけどそうじゃないよ。同じ人間だろ?出来るんだよ。自分を信じろ。世界チャンピオンになるんだろ?絶対なれるよ。」

日本タイトルマッチでの敗北。

初の世界挑戦での敗北。

防衛戦での敗北。

嘘みたいだけどアマチュアのデビュー戦も判定負けからキャリアをスタートしている。

…何より岩佐先輩も負けを糧にしてきた人だから。

…この言葉もありきたりだけど、岩佐先輩のキャリアを見た時、私は凄く納得出来た。

あの負けがこの勝ちに繋がってるんじゃないか、と。

勉強させてもらおう、ついていこうと思った。

ボクモバ(ボクシングニュース有料サイト)に書かれてあった記事やその他の岩佐先輩の記事をチェックした。

「スポンサー様の協力で海外武者修行」、と書いてあればすぐに真似をしてフィリピンのALAジムまで飛んだ。

お酒も普通に飲むんだ。俺も飲んでみよう。

チャンピオンのマインドに少しでも近づく為、色んな話を聞いた。

よく走り込みの合宿には私も同行させて貰えた。1週間ほど2人で走り続ける。

そんな時も後輩である私に気を遣わせないように細かい配慮をしてくれる人だ。

凄く周りが見えているんだと思う。

…イーグルアイたる所以か。

そうこうしてると次第に7年間アマチュアボクシングに打ち込んだ自分も”プロボクサー”という感じになってきたように思う。

それに兄貴分のような存在にもなっていた。

全然飾らない姿には少し違和感まで覚えた。

だいたい会う日は冬でもジャージにサンダル。髭は整えられてはいない。

凄く失礼な言い方になるが、到底スポーツの世界で頂点に立っている男という出立ちではない。

仲間たちとバカ話しをしている姿は良い意味で普通の一般男性と変わらないかも知れない。

聞いたことがあった。

「岩佐さんもっと有名になりたいとか思わないんですか?」

「あー俺は全然思わないんだよ。むしろ、有名にはなりたくないよ。」

ははは、と笑いながらそう話していた。

理解出来なかった。

私はその真逆で、目立ちたくて、注目されたくてボクシングを始めた。

岩佐先輩から時折り聞く言葉がある。

”最強”、だ。

ゲームの世界でしか聞いたことがない。

キャラクターに使うような言葉だ。

しかし、現実でボクサーが1番欲しい、手に入れたいものだ。

”世界チャンピオン”は肩書きでしかない。

ボクサーは皆んなそれが欲しいけど。

岩佐先輩から学ばせてもらっていたのは純粋な”強さ”を求める姿勢だった。


「有名になりたいと思わない」

という考えからか。

岩佐先輩の試合はイギリスでの挑戦の後3度アメリカで決まった。(直前のキャンセルも1試合)

3度目のアメリカでは、アメリカでの日本人6人目の世界王座獲得、日本人2人目39年ぶりのKO勝ちでの獲得となった。

文字と数字を使えばこんなに簡単に結果を知ることが出来る。

だけど実際のアメリカでの話しを聞くと、ほんとに経験とはお金では買えない貴重なものだと感じた。

日本にいる現役世界チャンピオンでもなかなか経験することは出来ないことだ。

こうして海外での試合は多くなる。

日本での知名度が上がった瞬間最高風速は、小國選手との世界タイトルマッチの時か。


小國選手との因縁や日本人対決というものは日本で好かれるし、盛り上がる。

奇しくもこの日は岩佐先輩とのタイトルマッチに勝利した山中慎介さん(WBCバンタム級12度連続防衛)がルイス・ネリ選手との再戦に敗れた日だ。

岩佐先輩が世界チャンピオンになった。

山中さんがネリ選手に敗れた。

この試合を最後に山中さんは引退。

計量に失敗していたネリ選手が試合に勝利した後、リングの上で騒いでいたのが印象に残っている。

私は控え室近くの廊下からその様子を眺めていた。

その私の真横を勝利したネリ選手が横切った。

私の”中”で、怒りの様な、悔しさの様な、賞賛の様な(当時、日本を代表する最強の選手に体重超過とはいえ2R、KO勝利)、色んなものが混じり黒く濁った絵の具の様な感情になったことを思い出す。

話しが逸れてしまった。

海外での試合は選手からすれば憧れの舞台だ。

しかし、日本での周りの反響や盛り上がりなんて本人にとっては関係の無い話し。

どこ吹く風だ。

自分の道を突き進む…。

”最強”への道。

2021年4月3日


岩佐先輩に大一番の一戦が決まる。

WBA、IBF、統一チャンピオン。

ムロジョン・アフマダリエフとの王座統一戦だ。

ウズベキスタン出身、リオデジャネイロオリンピック銅メダリストの元トップアマ。

おまけに2冠の統一王者でウズベキスタン初の世界王者。

ウズベキスタンの英雄だ。

”しかもその完全アウェーの敵地に乗り込む。”

当然、ウズベキスタンで日本人が世界戦をするのは”日本初”。

日本ボクシング界の歴史に刻まれようとしている。

イギリスやアメリカでの海外戦の多い先輩でなければ掴めなかった”チャンス”だと思うし、このチャンスを掴み取れるのも先輩だけだ。

ちなみにこのウズベキスタン戦には筆者である私も同行させて頂く。

筆者じゃなくて現役選手だ。笑

しっかりとサポートさせて頂く。

そして、世界で闘う孤高のボクサーに是非、エールを送って欲しい。

そして、敵地ウズベキスタンで全てを。

ひっくり返す!!